大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和56年(う)415号 判決 1982年2月22日

控訴人 検察官及び被告人

被告人 藤田雄幸

弁護人 渡辺真次 外二名

検察官 古屋亀鶴

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、検察官が提出した千葉地方検察庁検察官検事押谷靭雄名義の控訴趣意書、弁護人渡辺真次、同本木睦夫、同四宮啓連名の控訴趣意書および被告人名義の控訴趣意補充書にそれぞれ記載されているとおりであり、弁護人らの控訴趣意に対する答弁は、検察官検事古屋亀鶴名義の答弁書に記載されているとおりであるから、これらを引用する。

弁護人らの控訴趣意第二点の一および被告人の控訴趣意(事実誤認の主張)について

所論は、要するに、被告人は、昭和五三年三月二五日突然本件闘争に参加するよう指名されたうえ、同日午後六時ころ、朝倉団結小屋の女部屋において、本件闘争の実行指揮者である前田道彦から翌二六日三部隊による闘争の一環として成田空港の管理棟を襲撃する旨の指示、説明を受けてこれに同意したものの、当時の警備状況からして、二十数名の仲間とともに火炎びんや鉄パイプをもつて空港の心臓部ともいうべき管制塔へ侵入することなどおよそ不可能であると認識し、その実現を認容していなかつたのみならず、本件犯行に至る途中、逮捕者が出たため、当初の計画を断念し、実行指揮者もこれを放棄するに至つたことからも明らかな如く、本件犯行についての事前共謀は完全に消滅していたのであるが、被告人らの予想に反し、これが実現できたのは、偶然の連続と警備上の重大ミスが重つたことによるものであつて、被告人らの事前共謀に基づくものではないのに、これを肯定した原判決には、事実の誤認があり、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであるというのである。

そこで、検討するに、関係各証拠によれば、次の事実を認めることができ、これに反する原審および当審における被告人の供述、原審における相被告人若林一男の供述ならびに原審証人石山和雄に対する尋問調書中同証人の供述記載部分は、他の関係各証拠に照らし、いずれも措信することができない。すなわち、

一  被告人は、昭和五〇年二月ころ、第四インターナシヨナル日本支部(日本革命的共産主義者同盟、以下単に「第四インター」という。)の下部組織である日本共産青年同盟に加入し、昭和五一年一〇月ころ三里塚集会に出席して以来、十数回に亘り、新東京国際空港(以下「新空港」という。)建設反対闘争に参加していた者である。ところで、昭和五二年一一月二八日付運輸省告示第六〇八号をもつて新空港の供用開始期日(開港)を昭和五三年三月三〇日と定められたが、第四インターでは、これを許すと、一三年間にも亘つて続けて来た闘争が無に帰してしまうとして何んとしてでも同日の開港を阻止すべく、同月二六日から同年四月二日までの間、連続して開港阻止闘争を実施する計画を組み、その旨同派の機関紙「世界革命」に掲載して新空港の包囲、突入、占拠を呼び掛けていたところ、これを知つた被告人は、右闘争に参加しようと考え、同志五、六名とともに同月二四日の深夜朝倉団結小屋に赴き、同夜は同所に宿泊した。

二  翌二五日の午前中、朝倉団結小屋付近で第四インター主催の集会が催され、これが終了した同日昼ころ、被告人は、右集会に参加した他の十数名とともに、同派の幹部前田道彦から「君達には特別任務を負つてもらうので、午後六時ころ朝倉団結小屋の女部屋に集まれ。」と指示された。そこで、右指示に従い、そのころ女部屋に赴いたところ、被告人と同時に指示された十二、三名全員が集つた段階で、人数とその所属が確認された後、同派の幹部和多田粂夫から特別任務および闘争の概略について、「今回の三月二六日から四月二日までの成田空港開港阻止闘争は三つあり、明日それを決行する。一つは大勢の者が徒歩で横堀要塞から空港第八ゲートを突破して空港内に攻めて行く闘いであり、その闘い方については絶対に後に引かない闘いである。二つ目はトラツク部隊による攻撃で高速道路から第九ゲートを突破して空港に向つて進撃する闘いである。三番目の闘いは下水溝を使つて管制塔に進撃する闘いである。この中でも一番重要なのは三番目のものだ。それを君らにやつてもらう。この三つの闘いは一斉に決行する予定であるが、君らの任務は重大であるので、やりたくない者がいるなら今ここでやめてもいい。逮捕は覚悟しろ。」などと指示説明を受けた。次いで、前田道彦が立ち上り、自ら右管制塔進撃計画の行動隊長として指揮を取る旨告げた後、図面を示しながら潜入する下水溝の構造等について説明し、さらに「今回の管制塔襲撃は、戦旗派、プロ青同の者と行動をともにする。今晩下水溝に入つて一晩過ごし、翌日下水溝から出て管制塔に進撃する。下水溝を出たところで機動隊に阻止された場合は、一部の者が火炎びんや鉄パイプで応戦し、他の者の管制塔突入を援護する。管制塔に侵入した後、エレベーターを利用して上にあがり、管制室内の機械類を破壊する。そのため、大ハンマー、バール、鉄パイプ、ガスカツターを用意している。」などと本件一連の犯行計画を打ち明けて、その具体的な実行方法を説明した。これを聞いた被告人は、犯行計画が予想外に綿密で規模も大きく、任務の重大性を痛感する一方、果して成功するか否か疑問を抱いたが、成功すれば三月三〇日の開港を確実に阻止できるであろうし、仮に成功しなくとも管制塔への進撃はそれなりに意義があるものと考え、右闘争に参加することを決意した。このようにして、その場に居合わせた全員の賛同を得て、本件犯行の謀議が成立した。そして、引き続きグループ編成を行ない、右参加者を下水溝から出て直ちに管制塔へ突撃する第一グループ、機動隊に阻止された場合、第一グループを援護しながら自らも管制塔へ突入する第二グループ、あくまでも機動隊の阻止に当り、その抵抗がなかつた場合はじめて管制塔へ突入する第三グループに分けられたが、被告人は第三グループに編入された。

三  その後、被告人らは、同日午後八時ころ、予め用意されていた火炎びん二〇本(ナツプザツク入りのもの)、バール三本、鉄パイプ約一〇本、ハンマー二本、ガスカツターおよびポリタンク(ガソリン入りのもの)等を手分けして携え、前田道彦の指揮に従い、マイクロバスで千葉県山武郡芝山町横堀所在の熱田一方に赴き、同所で被告人らと目的を同じくして本件犯行に加担すべく、火炎びん八本、鉄パイプ四本を携行して集つた共産主義者同盟戦旗派(以下単に「戦旗派」という。)所属の三名、プロレタリア青年同盟(以下単に「プロ青同」という。)所属の四名と合流し、総勢約二〇名になつた。そこで、前田道彦は、右熱田方の庭先で、戦旗派およびプロ青同所属の右七名に対し、新空港における各種施設の配置を記載した図面を示しながら、管制塔や空港署の位置を説明した後、小声で「明日全員で空港に突入して管制塔を占拠し、管制塔の機械を破壊して開港を阻止する。今夜は下水溝に入つて一泊し、次の日空港に突入する。管制塔近くのマンホールから出るが、このマンホールは人がやつと出られるような小さな穴である。マンホールから出て走つて管制塔に行く。その際、警察官らに阻止されたら、火炎びんや鉄パイプなどで攻撃して突破して管制塔に行く。管制室は一六階にあるが全員でエレベーターで上る。」などと説明した。これを聞いた右七名は、直ちに犯行計画を了承したうえ、その場にいた他の全員と共同して右犯行を実行すべく決意し、一方、すでに共謀の成立していた第四インター所属の被告人らも右犯行計画に賛同して、これに加担することを重ねて決意し、ここに本件一連の犯行を約二〇名が共同して実行する旨の謀議が成立した。そして、戦旗派およびプロ青同所属の七名は前記三グループのいずれかに編入された。

四  被告人を含む約二〇名全員は、右謀議に基づき、同日午後一一時三〇分ころ、前記熱田方を出発し、同県成田市古込字神台七三番地付近に設置されている下水溝の突起口まで徒歩で行き、そこから順次下水溝内に潜入し始めたところ、後部にいた約五名がいまだ潜入しないうちに、折りから空港警備に当つていた機動隊員に発見されて逮捕され、あるいは逃走したため、結局、被告人を含む前田道彦ら約一五名が火炎びん約二〇本、鉄パイプ約一五本、バール二本、ハンマー二本、ガスカツター一式を持ち込んで潜入したに止まつた。

五  以上のようにして、被告人ら約一五名は、下水溝で一夜を明すことになつたが、共犯者らの一部が機動隊に発見されて下水溝に潜入することができなかつたうえ、予め用意した火炎びんや鉄パイプの一部を搬入することができなかつたため、本件計画が発覚し、下水溝の出口付近には多数の機動隊員が待機していることも十分予想されたので、当初計画した本件犯行の実行方法につき、若干の変更を余儀なくされ、その点で多少の不安があつたけれども、被告人らの中には最終目標である管制塔の襲撃破壊を断念し、あるいはこれを放棄した者は一人もいなかつた。のみならず、本件犯行の実行指揮者である前田道彦は、三月二六日午前一〇時ころ、下水溝の中で全員を集め、計画通り実行する旨告げ、さらに同日午前一一時ころにも「午後一時五分に決行する。」旨指示したほか、地上に機動隊が待機していることを心配した被告人に対し、「鉄パイプをもつて機動隊員を叩きのめして出よう。」と言つている。そこで、安全靴に履き替えて身支度を整えた被告人は、前田の指示に従い、他の共犯者らとともに、本件犯行を実行する約二〇分前ころに下水溝の出口付近に集合したうえ、前田の号令で同日午後一時一〇分ころ、被告人を先頭に順次地上に出、しかる後に火炎びん、鉄パイプ、バール、ハンマー等の凶器を取り出したところ、予想に反し、付近には制服警察官約一〇名がいたのみであつたので、全員が地上に出た後、一斉に管理棟に向つて走り出し、管理棟玄関から侵入して本件各犯行に及んだ。

以上の認定事実によれば、本件各犯行は、周到綿密に計画された事前の共謀に基づいて敢行されたものであり、本件犯行に至る過程において逮捕者が出るなど、予期せざる事態が発生したため、当初樹立した計画に若干の変更を余儀なくされたけれども、本件犯行の実行指揮に当つた前田道彦は勿論のこと、被告人も右計画を断念し、あるいはこれを放棄したことはなく、むしろ被告人は、前田らに本件計画を打ち明けられた際、それが果して実現できるか否か危惧の念を抱いたものの、仮に実現できなくとも、本件犯行に加わることはそれなりに意義があるものと考え、未必的にしろこれを認容していたものであつて、現に本件では被告人らの意図した目的が達成されているのであり、そして、それがたとえ侵入経路が警備の不十分な箇所と一致したという偶然の事情に助けられたものであつたにしても、被告人が他の共犯者らとともに管制塔へ侵入することなど、およそ不可能であると認識していたとまでは到底認め難いところである。してみれば、この点に関し、原判決には事実の誤認がなく、論旨は理由がない。

弁護人らの控訴趣意第二点の二(事実誤認ないし法令の解釈、適用の誤りの主張)について

所論は、要するに、航空の危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律一条に規定する「飛行場」とは、供用開始以後の飛行場をいい、そのような飛行場の設備又は保安施設を損壊し、又はその他の方法で航空の危険を生じさせた場合に処罰されるものであり、しかも右犯罪は具体的危険犯であつて、抽象的危険犯ではないから、航空機の衝突、墜落、転覆、破壊等具体的な危険を生ぜしめることが必要である。そして、同法一条違反の罪の刑が非常に重いことに鑑み、具体的危険について結果の発生まで必要としないまでも、単なる可能性では足りず、結果発生の蓋然性を要するものと解すべきところ、本件当時、本件飛行場はいまだ供用開始されておらず、したがつて、被告人としては、危険の生ずる虞れがないものと認識し、かつ、本件飛行場が同法一条にいう飛行場に該当しないものと理解していたからこそ本件闘争に参加したものであつて、しかも被告人は同法の存在は全く知らず、また、本件では被告人らにおいて事故を惹起させる虞れのある状態を作出して航空の危険を生じさせた事実が存在しないのに、原判示第四の一、二の各事実につき、航空機の危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律一条を適用して処断した原判決には、事実を誤認し、ひいては同法一条の解釈、適用を誤つた違法があり、その違法が判決に影響を及ぼすことが明らかであるというのである。

ところで、航空法五六条によつて準用される同法四二条四項には、飛行場の設置者は、運輸大臣に届けた供用開始の期日以後でなければ、当該飛行場を供用してはならない旨規定されているけれども、航空の危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律は、航空機の安全な運航を保護する目的で制定されたものであつて、その立法趣旨からすれば、同法一条の「飛行場」とは、航空機の離着陸の用に供する目的をもつて設置された施設で、現に航空機の離着陸の用に供されているものをいい、航空法の定めるところにより飛行場として供用されているか否かを問わないものと解すべきである。また、航空の危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律一条の罪は、航空の危険を生じさせることを要件とする犯罪であるから、具体的危険犯と解すべきことは所論指摘のとおりではあるが、そうだからといつて、同条のいう「航空の危険を生じさせた」とは、現実に航空機の衝突、墜落、破壊等の事故発生を具体的に生じさせる必要がないことは勿論、その必然性や蓋然性も必要とせず、事故発生の可能性ある状態を生じさせれば足りるものと解すべきであり、したがつて、右犯罪の故意の内容も、右のような事故が惹起する虞れのあることを認識、認容すれば足りるものと解するのを相当とする。

以上の見解に立つて、原判示第四の一、二の各事実について検討すると、関係各証拠によれば、次の事実を認めることができ、これに反する原審および当審における被告人の供述は、他の関係各証拠に照らし、にわかに措信することができない。すなわち、

一  新東京国際空港公団は、新空港の設置につき、運輸大臣の認可を受けて、昭和四六年四月その第一期工事に着手し、昭和四七年三月には管制塔その他の施設を、昭和四八年にはA滑走路、誘導路、航空保安施設等をそれぞれ完成させて、右施設である新空港につき、同大臣の完成検査を受けたところ、昭和五二年一一月二六日付で同大臣から飛行場として合格の判定が下されたため、その供用開始期日を翌五三年三月三〇日と定めて届け出た。その結果、運輸大臣は、昭和五二年一一月二八日、運輸省告示第六〇八号をもつて、新空港の設置者、名称、設備の概要ならびに供用開始期日を昭和五三年三月三〇日とする旨定めて告示し、その旨を国の内外に宣言した。

二  運輸省は、昭和五二年一二月一九日付同省令第三八号をもつて空港事務所等の組織規則を改正して、新空港管理棟(以下単に「管理棟」という。)内に同省東京航空局新東京空港事務所を設置し、さらに同日付で同省告示第六五五号、第六五六号をもつて、新空港の航空交通管制圏(いわゆる成田管制圏と呼ばれるものであつて、その範囲は、同空港の標点を中心とする半径九キロメートル内の区域で、その直上高度九〇〇メートル以下の空域内とするもの。)を指定する旨、新東京空港事務所が新空港において午前九時から午後五時まで飛行場管制業務を行なう旨ならびに右いずれも同月二〇日から適用する旨をそれぞれ告示するとともに、同日以降新空港をして同省新東京国際空港準備室が昭和四七年一一月一日から実施して来た国際対空通信業務、国際航空固定通信業務および山田航空路監視レーダーによる情報を東京航空管制部に中継する送信業務をそのまま引き継いで行なわせ、あわせて成田管制圏における飛行場管制業務を行なわせることとした。そして、新空港では、昭和五二年一二月二二日から昭和五三年三月二二日までの間、日曜・祝日を除いた毎日、機長路線資格取得飛行(いわゆる慣熟飛行)が行なわれたが、これは新東京空港事務所所属の航空管制官らによる管制を受けながら実施されたものである。以上のことは、当時テレビ・ラジオ・新聞でも広く報道された。

三  ところで、新東京空港事務所の行なう業務のうち、国際対空通信業務とは、国際航空路を航行する航空機の安全と円滑な航行を維持するため、同事務所保安部所属の航空管制通信官が東京飛行情報区(国際民間航空条約に基づき、国際民間航空機関において定められた北緯二七度・東経一六五度、北緯四三度・東径一六五度・北緯五一度・東経一五八度、北緯四三度・東経一四六度五〇分、北緯四四度二四分・東経一四五度二四分、北緯四五度四五分・東経一四二度、北緯四五度四五分・東経一四〇度、北緯四〇度三三分・東経一三六度、北緯三八度・東経一三三度、北緯三七度三〇分・東経一三三度、北緯三四度四〇分、東経一二九度一〇分、北緯三二度三〇分・東経一二七度三〇分、北緯三二度三〇分・東経一二六度五〇分、北緯三〇度・東経一二五度二五分、北緯三〇度・東経一三一度三〇分、北緯二六度三〇分・東経一三七度、北緯二一度・東経一三七度、北緯二一度・東経一五五度、北緯二七度・東経一五五度、北緯二七度・東経一六五度の各点を順次結んだ線内で、わが国が航空交通業務を担当すべきものとされた空域)内の遠隔洋上を航行している航空機と短波無線電話で交信を行なう業務であつて、その主なものは、(1) 航空機からの事故・故障等に関する緊急通報、(2) 管制機関および航空機からの高度・航路等の変更許可、指示に関する管制通報、(3) 航空機の現在位置、予定通過位置等に関する位置通報、(4) 航空機からの気象報告、気象機関等からの航空機宛にする気象通報等があり、また、飛行場管制業務とは、新東京空港事務所管制部所属の航空管制官が成田管制圏に飛来し、あるいは新空港およびその周辺に離着陸する有視界方式による航空機に対し、超短波無線電話による人出圏の許可、離着陸の順序・時期・方法等の管制指示を与えるとともに、風向、風速等の飛行情報を提供する業務である。

四  新東京空港事務所では、東京飛行情報区を北緯三七度線で南北に二分し、北半分を北大平洋地区(NP)、南半分を中西部大平洋地区(CWP)と称し、それぞれの区域内を航行する航空機との通信を行なうため、管理棟六階にある航空管制通信室にNP卓およびCWP卓を設け、管理棟一四階にある筑波中継所向けマイクロ波中継装置を使用し、右各卓に配置された航空管制通信官をして前記国際対空通信業務を行なわせていたが、時々刻々変化する気象条件に応じ最も効率のよい周波数を即座に選び出して交信できるようNP卓には五周波の、CWP卓には六周波の短波を割当て、また、管理棟一六階の管制室において、同事務所管制部所属の航空管制官による飛行場管制業務が行なわれていた。

五  本件犯行当日の昭和五三年三月二六日午後一時から、新東京空港事務所所属の航空管制通信官中山傑はNP卓で、同馬上憲一はCWP卓でそれぞれ右国際対空通信業務に従事していたが、被告人らの本件犯行により筑波中継所向けマイクロ波中継装置中、マイクロ波送受信装置・導波管一式およびパラボラアンテナ一式が破壊されたため、同日午後一時二三分ころから東京飛行情報区内を航行する航空機との通信が不能となり、急拠成田ローカルと称する予備の短波送受信装置に切り替えて事無くすんだものの、これは出力がわずかーキロワツトで、マイクロ波送受信装置を作動させて交信する際に使用する友部航空無線通信所の装置に比し、その五分の一に過ぎず、しかも一度に一周波の発信しかできないうえ、航空機の周波数に合わせて切り替えるためには約七秒を要するなど、すべての点で性能が劣つているほか、東京交通航空管制部との連絡も専用無線電話を使用してすることができなくなつたため、ダイヤルを回す商業電話の使用を余儀なくされた。一方、本件犯行当日、新東京空港事務所所属の航空管制官木島勝弥ら四名は、管理棟一六階の管制室において、飛行場管制卓(ローカルコントロール卓)、地上管制卓(グランドコントロール卓)連絡調整卓および統括卓(監視卓)に着いて飛行場管制業務に従事していたが、同日午後一時三〇分ころ、被告人らの本件犯行により身の危険を感じて管理棟屋上へ脱出することを余儀なくされたうえ、その後管制室へ乱入した被告人らにより同室に備え付けられていた管制機器が破壊されたため、飛行場管制業務を行なうことができなくなつた。なお、本件犯行当時、大平洋上の東京飛行情報区内を約一八機の航空機が飛行していたほか、新空港周辺では警備活動に従事中の警視庁および千葉県警察本部所属のヘリコプターや取材活動中の報道機関のヘリコプター約四機が飛行していたが、これらの航空機はいずれも前記管制官らによる航空管制を受けることができなくなつた。

六  被告人は、昭和五一年一〇月ころから十数回に亘り、新空港建設反対闘争に参加して来た者であるところ、本件犯行の前日、第四インターの幹部前田道彦から特別任務につくよう指名されたうえ、昭和五三年三月二六日から同年四月二日までの間、新空港を包囲し、これに突入し占拠して、新空港の管制室に備え付けてある機械類を破壊し、三月三〇日の開港を阻止する計画であるから、それを実行して欲しい旨打ち明けられて本件犯行に加わり、しかも新空港では本件犯行の前日まで慣熟飛行が行なわれていたこと、三月三〇日の開港を目前にして、新空港には航空管制官らが配置され、その業務を行なうため設置された管制機械類や通信装置が作動し、現に航行中の航空機との通信業務および飛行場管制業務が行なわれていたことを承知していた。

以上の認定事実によれば、新空港は、被告人らによる本件犯行当時、いまだ飛行場として供用開始されていなかつたものの、航空機の危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律一条にいう「飛行場」に該当することは明らかであり、また、航空交通の発達に伴い、多数の大型航空機が東京飛行情報区域内の洋上を音速に近い高速度で航行する場合、航行の安全と秩序を維持し、航行に起因する各種障害の防止を図るためには、地上の航空交通管制担当者らと迅速かつ的確な連絡をとることが絶対不可欠であるところ、被告人らの本件犯行により、新東京空港事務所で行なつていた国際対空通信業務が不能ないし著しく困難な状態に陥るとともに、飛行場管制業務も全くできなくなつたことは、航空機の衝突、墜落等の事故発生の可能性ある状態を生じさせたものということができ、しかも被告人はかかる状態になることを十分認識していたものと認めるのが相当であるから、原判決が原判示第四の一、二の各事実につき、同法一条を適用して処断したことは正当と認められる。なお、所論は、被告人が同法の存在を知らなかつた旨主張するけれども、法律を知らなかつたからといつて故意を阻却するものではないのみならず、被告人が本件犯行につき違法性の認識を有していたことは前記説示のとおりであつて、右主張は失当である。してみれば、原判決には何ら事実の誤認はなく、法令の解釈、適用にも誤りがないから、論旨は理由がない。

検察官の控訴趣意および弁護人の控訴趣意第三点(量刑不当の主張)について

控訴趣意中、検察官の所論は、要するに、検察官が懲役一〇年を求刑したのに対し、被告人を懲役五年に処した原判決の量刑は著しく軽過ぎて不当であるというのであり、弁護人らのそれは、原判決の量刑が重過ぎて不当であるというのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せて検討する。

本件は、新空港の供用開始を目前にして、これを実力で阻止しようとする第四インター・戦旗派およびプロ青同のいわゆる過激派三派が共同して、綿密な計画と周到な準備のもとに厳重な警備の間隙を縫つて敢行した組織的集団犯罪であつて、被告人を含む一五名が、多数の火炎びん、鉄パイプ、バール、ハンマー等を準備して集合したうえ、これを携えて、本件犯行の前日、新空港の敷地内に通ずる下水溝に潜入して一夜を過ごし、翌日新空港の敷地内に出て、管理棟の表玄関から全員一団となつて管理棟に侵入し、その間、新空港の敷地内および管理棟玄関ロビー付近において、警戒、警備等に従事していた警察官十数名に対し、火炎びんを投げ付けて炎上させ、同人らの生命身体に危険を生じさせるとともに、その職務の執行を妨害し、警察官一名に加療約二週間を要する傷害を負わせ、その後引き続き管理棟のエレベーターや階段を利用して階上に昇り、管理棟一四階北西側ベランダおよびマイクロ通信室において、同所に備え付けてあつた二基のマイクロ波中継装置を所携の鉄パイプやハンマーなどで叩き、あるいは投げ付けた火炎びんを炎上させるなどして右各装置を損壊し、さらに、管理棟一六階の管制室に通ずる扉を所携の鉄パイプ等で叩いたり、同室付近に火炎びんを投げ付けたりなどして、当時同室で飛行場管制業務に当つていた航空管制官四名をして屋上への退避を余儀なくさせた後、ハンマーで同室北西部外壁のガラスを破壊し、そこから被告人ら六名が同室に乱入したうえ、同室に備え付けてあつた飛行場管制業務に使用中の各種管制機器を所携の鉄パイプ、ハンマー、バール等で手当り次第に破壊し、その結果、航空管制通信官や航空管制官らの業務を妨害し、当時東京飛行情報区内および成田管制圏内を航行していた多数の航空機との通信を著しく困難ないしは不能にさせ、もつて航空機の墜落、衝突等の大惨事をも惹起させかねない状態を生じさせた事案であり、その手段、態様が極めて危険かつ悪質であることは言うまでもなく、警備に当つた警察官に傷害を負わせたにとどまらず、退避を余儀なくされた航空管制官らをして救助されるまでの約二時間近くを柵のない管理棟屋上に放置して危険に陥れるなど、同人らに与えた精神的苦痛は計り知れないこと、加えて管理棟一四階および一六階に設置されていた各種通信装置がことごとく破壊されたため、その機能を喪失し、すでに国の内外に向つて宣言した新空港の供用開始時期が五〇日間延期のやむなきに至り、そのことによりわが国の国際的信用が著しく失墜したばかりでなく、社会的影響も大きかつたうえ、破壊された各種通信装置等の復旧には約九八〇〇万円の費用を要したほか、これに供用開始の遅延による逸失利益まで含めると実に二九億円もの莫大な損害を被らせたものである。そうすると、被告人らの本件犯行は誠に重大であるといわなければならない。

しかしながら、一方、被告人は、他の共犯者らとともに新空港の管制室に侵入したものではあるが、本件犯行が過激派三派の幹部らによつて計画されたものであつて、被告人はその具体的説明を聞いて本件犯行を決意したものの、たまたま犯行前日に自派の幹部前田道彦から特別任務につくよう突然指名され、犯行中も終始右前田の指示に従つて行動し、自らは火炎びんや鉄パイプを一度も使用しておらず、管制室内でも破壊された通信装置等のコードを引き抜いたり、管制官らが使用していた書類を撒き散らした程度の行為をしたにとどまるのであつて、管制室に侵入した他の共犯者らに比し、その果した役割は軽く、総じて従属的立場にあつたこと、被告人は、本件犯行による国際的、社会的影響や結果の重大性に鑑み深く反省改悟するとともに、組織から離脱することを決意し、捜査段階から本件犯行を全面的に自供しているほか、二〇代半ばを過ぎた青年で、これまで前科前歴が全くないことなども認められる。そこで、これら及びその他の量刑上考慮すべき事情をも慎重に考量して検討すると、原判決の量刑は相当であると認められ、これが軽過ぎるとも、重過ぎるとも認められないから、検察官および弁護人の各論旨はいずれも理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 海老原震一 裁判官 杉山英巳 裁判官 新田誠志)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例